しかも非合理的な合理性を持ち合わせている。


なるほど。
確かに、合理的に考えていきたいという欲求を
ヒトは持ち合わせているようだ。
ある人から借りてた本に書いてあった。
その性質を利用して、ハッピーになろうってな感じ。
ハッピーの一つの手段として。

ただ、コトバとして「ありがとう」と言う。
そういう方法。
内言でも外言でもとにかく良いので
発してみるそうな。
すると、ヒトはその理由を探し始めるらしい。
「ありがとう」というのは、他者の良い点へのベクトルがあるので
その良い点へと焦点化するので
結果的に、良いところ探しにつながるという仕組み。

確かに一理ある。
そして逆もまた然り、だそうだ。

ただ
理由を探す、という行動において
既に非合理性を含んでいるようにも思う。
何せ、その理由ってのは
恣意的な理由であって、合理性は含まれていないと推測される。
まぁ、たぶん、この場合の合理的っていうのも
「ジブンの都合にあった」という意味に過ぎないのかもしれないけど。

理由なんて星の数ほどあるのに
その中の一つを理由としてピックアップするのって
非合理的じゃないか…?
単なる必要原因に過ぎないのにね。

って事を突き詰めて考えても
この場合は仕方がない気がする。
なにせ、答はないから(笑
つまり、理由はないってことか(苦笑

建て前上の理由さえあれば
落ち着くからね。
その理由に固執していては
前進なしないのかもしれない。
その危険性が分かっていれば良いと思う。

その理由っていうのも
真実に限りなく近づくだけの点の集合体である
漸近線みたいなモノだろう。
その線の一つでもあればイイんだ。
ジブンの中で納得できるモノがあればイイんだ。

そもそも
生きて死ぬって時点でも
何だか合理的でない気もするが。
まぁ、それは「何故生まれてきて、何故死ぬのか」っていう問いから
発生する問題でもあるのだが。
答や理由はない、と思う。
それなのに求める時点で非合理的じゃないかってコト。
でも
ないからこそ、ジブンで勝手に
作って
選んで
決めて
納得して
ってコトができるんだからね。
言ってみれば、それはそれで
理由探しの醍醐味か(笑

理由があるって思う前提自体が
疑問さ。
しかも理由ってのは一つって思う前提もあるから
よけいに厄介。

理由の漸近線の
どのポイントの理由を
ジブンの理由と決めるのか。
その方法や手段や「リユウ」が
ジブンらしさになるのかもしれない。

コメント

よし
2006年8月21日22:23

何故生まれて死ぬのか、って江原氏がその疑問に答えていた気がしますが、
どうせ理由づけするなら自分独自の納得行く理由をつけたい。
そんなことを思いました。
漸近線って何だろうと思った僕は完璧な文系人間ですな(笑
辞書で調べてしまいました。

feng
feng
2006年8月22日21:49

ボクは半分文系、半分理系人間です(笑
心理学ってのはそんな感じの分野ですし…。

本当に理由て色々ありますよね。
納得のいかない理由ってのにも、その理由が存在する理由がある
のかもしれません(苦笑
ある意味その理由が分かると、納得できたりして…。

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