思考とイメージと言葉と。
2006年8月22日 思考過程 コメント (2)この三者の融合。
密接な関係性。
ある言葉を聞くと
イメージが思い浮かぶコトが多い。
ある歌を聴くと
イメージを思う浮かぶコトがある。
思考する時
イメージが伴うコトが多い。
最近好きなアーティストにもこの種のイメージが想起される。
LUNKHEADというアーティストがいる。
何だか、血を流しながら歯を食いしばっているイメージ。
そんな歌を歌う。
もがきながら、前へと進もうとするような感じ。
今お気に入りの曲は「クローバー」
「ララパッテルポルク パッテルポルク
ララパッテルパポルコパッテルク」
こんな素敵な魔法のコトバまで散りばめられている。
よく分からん音の響きだけど、リズムに合っていて好きだなぁ。
RADWIMPS。
最近一番のお気に入り。
これからますます売れそうな感じ。
繊細で壊れそうなココロをコトバに置き換える作業をしている感じ。
壊れやすい針の水晶でできた、キラキラした心臓のイメージ。
昔のアルバムは純な若者だったのが、
今のアルバムはどこか斜に構えている気がする。
好きなモノを素直に好きといえない。
核心に、半分わざと、遠回りしながら近づいていく。
COCCO。
美しい狂気。
COCCOはCOCCOそのまんまのイメージ。
白いワンピースを着て、凍えそうな体で必死で叫んでいるイメージ。
光がまぶしくて熱くて、トケソウだけど
それでも近づいていって…。
ボクにとって
10という数字は「円」。
だから、10−5は?って聞かれると
まるでケーキを半分にしたようなイメージが思い浮かぶ。
8+2は欠けたケーキが元に戻るようなイメージ。
イメージは視覚的な感覚。
それを言葉に置き換えると
どこかずれている気がする。
逆に、言葉にすることで気がつくことも多い。
思考を言葉にすることも、また然り。
思考ってどうやっているんだろう。
言葉?
イメージ?
その他の感覚?
ボクはそういったモノの融合。
ただ、言葉で思考しようとすると
思考のスピードが落ちる。
言葉に置き換えるという作業の分、スピードが落ちる。
ちょうど、キーボードを打って、視覚的な言葉に変換するのに
時間を費やすのと同じように。
感覚的に処理をするとスピードは上がる。
本当はこの処理で思考したいのだが、
言葉にしないと不安で、結局はスピードが遅い。
ぱっと反応すると、何も考えていないように思われたりもするし。
そうした反応は言葉にして説明をするのが難しい。
だからついつい
「何となく」
ってのが口癖になってしまう。
説明するのがメンドクサイから(笑
別に
スベテを言葉にする必要はないんだけどね。
ただ、共通言語であるので
その分、相手に伝わりやすいという点において
安心感は生じるのだが。
あと、言葉にするコトを子供の頃からしているので
その方が慣れているっていうのもある。
言葉を使っていなかったら
別の方法で思考していたはずだし
本来はそうであるはずだし。
動物は言葉で動いているのか?
それが説明できないから
「本能」と呼ぶ。
言葉で思考やイメージを切り取っていく。
切り取っていくのであるのだから
切り取られていない部分が存在する。
言葉は断片しか表していない。
線で切り取られた断片。
その線自体も曲者だし。
数学上でも、その線自体には面積的なモノは存在しない。
でも、線は存在するとう不思議な存在。
そんな言葉という線で、イメージや思考は切り取られていく。
切り取られるというの自体もすでに、イメージだな(笑
順次
言葉にしていくかな。
そうすれば
一瞬の思考も半永久的に言葉の形で残る。
不完全なモノではあるが
完全になる可能性を拡大させたままにできる。
密接な関係性。
ある言葉を聞くと
イメージが思い浮かぶコトが多い。
ある歌を聴くと
イメージを思う浮かぶコトがある。
思考する時
イメージが伴うコトが多い。
最近好きなアーティストにもこの種のイメージが想起される。
LUNKHEADというアーティストがいる。
何だか、血を流しながら歯を食いしばっているイメージ。
そんな歌を歌う。
もがきながら、前へと進もうとするような感じ。
今お気に入りの曲は「クローバー」
「ララパッテルポルク パッテルポルク
ララパッテルパポルコパッテルク」
こんな素敵な魔法のコトバまで散りばめられている。
よく分からん音の響きだけど、リズムに合っていて好きだなぁ。
RADWIMPS。
最近一番のお気に入り。
これからますます売れそうな感じ。
繊細で壊れそうなココロをコトバに置き換える作業をしている感じ。
壊れやすい針の水晶でできた、キラキラした心臓のイメージ。
昔のアルバムは純な若者だったのが、
今のアルバムはどこか斜に構えている気がする。
好きなモノを素直に好きといえない。
核心に、半分わざと、遠回りしながら近づいていく。
COCCO。
美しい狂気。
COCCOはCOCCOそのまんまのイメージ。
白いワンピースを着て、凍えそうな体で必死で叫んでいるイメージ。
光がまぶしくて熱くて、トケソウだけど
それでも近づいていって…。
ボクにとって
10という数字は「円」。
だから、10−5は?って聞かれると
まるでケーキを半分にしたようなイメージが思い浮かぶ。
8+2は欠けたケーキが元に戻るようなイメージ。
イメージは視覚的な感覚。
それを言葉に置き換えると
どこかずれている気がする。
逆に、言葉にすることで気がつくことも多い。
思考を言葉にすることも、また然り。
思考ってどうやっているんだろう。
言葉?
イメージ?
その他の感覚?
ボクはそういったモノの融合。
ただ、言葉で思考しようとすると
思考のスピードが落ちる。
言葉に置き換えるという作業の分、スピードが落ちる。
ちょうど、キーボードを打って、視覚的な言葉に変換するのに
時間を費やすのと同じように。
感覚的に処理をするとスピードは上がる。
本当はこの処理で思考したいのだが、
言葉にしないと不安で、結局はスピードが遅い。
ぱっと反応すると、何も考えていないように思われたりもするし。
そうした反応は言葉にして説明をするのが難しい。
だからついつい
「何となく」
ってのが口癖になってしまう。
説明するのがメンドクサイから(笑
別に
スベテを言葉にする必要はないんだけどね。
ただ、共通言語であるので
その分、相手に伝わりやすいという点において
安心感は生じるのだが。
あと、言葉にするコトを子供の頃からしているので
その方が慣れているっていうのもある。
言葉を使っていなかったら
別の方法で思考していたはずだし
本来はそうであるはずだし。
動物は言葉で動いているのか?
それが説明できないから
「本能」と呼ぶ。
言葉で思考やイメージを切り取っていく。
切り取っていくのであるのだから
切り取られていない部分が存在する。
言葉は断片しか表していない。
線で切り取られた断片。
その線自体も曲者だし。
数学上でも、その線自体には面積的なモノは存在しない。
でも、線は存在するとう不思議な存在。
そんな言葉という線で、イメージや思考は切り取られていく。
切り取られるというの自体もすでに、イメージだな(笑
順次
言葉にしていくかな。
そうすれば
一瞬の思考も半永久的に言葉の形で残る。
不完全なモノではあるが
完全になる可能性を拡大させたままにできる。
コメント
右脳を使うこととでも言えるのかな?
そういうのが得意なんだなと改めて^^;
昔の自分にはもっとあったかもしれないけど、
今の僕には明らかに欠けているものを持ってるね。
またちょっと羨ましく感じました。
よしさんも十分あるような気がしますが…。
デジカメを寝転がって撮る姿が忘れられません(笑
ああいう視点って右脳を使っているのではw